一つ、 表現、創造に於いて「夢」に餓(かつ)える放浪者の群である。冒険者の群である。開拓者の群である。
一つ、 人間表現について、己にプロフェッショナルの群である。俳優、ナレーター、声優、アナウンサー、音楽家、詩人、作家、書家、画家、映像作家、落語家、落伍者、講談師、好男子、別嬪、滑稽者、骨董者、あらゆる肉体表現者、創造者を同人とする。
一つ、 ナレーション、朗読、語り、群れ語り、声明、群誦、連読、コロス等に、演劇要素を加えた「言霊(ことだま)ナレーション」。序曲、間奏曲など、あらゆる楽曲効果は「生」と専門音響プロデューサー製作の物にに限る。
一つ、 人生の「表舞台」に生身を晒し、「夢」を「空」に「吽」える。肉体を持って楽器本体に、魂を弦に、源泉の感性で―弾(ひ)く、弾(はじ)く、叩く、叫ぶ、吼える、煮える、たぎる、爆竹し、爆裂する。―震える、呻く、挙げ句 黙る。―放電する、発電する、蓄電する。
一つ、 肉体で考える。体が動けば「脳」が動く。脳は体の一部だ。人が動いて―「働く」。人格指数、体感指数、五感指数、表現指数。これが人間指数だ。「智恵」である。「気」である。
「五官」及び「第六感」である。
一つ、 優れた表現とは、単に積み重ねることではない。
数多(あまた)の積み重ねを「舵」で削ぎ、「気」で抉(えぐ)るものだ。魂、荒(すさ)ぶるべし。
一つ、 麗しい母国語―日本語「言霊」。機微溢るる陰翳、韻律、リズム、テンポ、「、」「。」行間。
隠れた本質を繙き、表に表す―これが表現だ。「間」(ま)の絶対。―「間抜け、間のび=間違い」排除する。「間」とは、遊びである。ゆとりである。「人の間」=「人間」
一つ、 「気」を吐けば、新たな「気」は自ずと入ってくる。「息」をする―「活きる」、「生きる」。
一つ、 人生は重厚長大である。人間が生くる尊厳は極めて重い。だからこそ表現は単純(シンプル)が楽しい。「楽」と記す。極楽―極く楽しいと記す。
一つ、 頑張らない。一生懸命が疲れる。「一所懸命」が楽しい、正しい。完全はあり得ない。
永遠の未完全―これ既に、「完全」である。
一つ、 「努力」、「忍耐」、「根性」、「誠実」、「完璧」、「清く、正しく、美しく」―
これら過ぎると、いずれも裏目に出る。「いい加減」が「適当」である。常識、概念は、
破るためにある。「前例」は創るためにある。「道」は後(うしろ)に拓ける。
一つ、 「プアゾン(毒)」、「色」、「匂い」、「癖」、「技」、これら特別のフェロモンを
源泉とし、アドレナリン及びドーパミンを醸す。
一つ、 肩書き、見栄(プライド)、常識、概念、地位、人の眼、名誉、過去の栄光、計算と説明と解説と言い訳。そして「拝金」。これが「人間性」を蝕む。
一つ、 「他人の眼」に縛られて、本能の声を無視しない。自分を愛おしみ、自分を労わる。自分を褒める。
一つ、 「重箱」の隅をつつく「常識」の輩に、「人間宇宙」は何ら観えない。「人間」とは技術に翻弄される機械ではない。ロボットではない。
一つ、 「一」を為すに「百」の当然。「百人」は相手ではない。相手は、「一人」だ。
最初の一人が、「己」(おのれ)。―これ普遍。枝ではない、「幹」である。「根」である。
一つ、 時流に媚びない。阿(おもね)らない。迎合しない。群れない。「時流」と「芸術」は自ら醸すものだ。
一つ、 バスに乗り遅れたって構わない。次のバスを待とう。バスが来なければ、自ずが走ればよい。
一つ、 冒険が、「夢」を叶える。危険(リスク)、挫折から逃げない。これらは「巨きなエネルギー」の原動力だ。
一つ、 「縁」と「円」は、自力で回すものだ。澱ませない。封じない。常に動かす。完結させない。
一つ、 矛盾、疑問、怒り、模索、葛藤、破壊、混沌、再構築、創造―。
一つ、 」の絶対。―――「」の絶対。
一つ、 ムンク―MUNCH―世界の表現主義に大きな影響を与えたノルウェーの詩人・画家。
代表作に「叫び」。―夢吽空(むんく)
一つ、 「言霊」―人間ドキュメント!日本人先人が「人間として何(ど)う生きたのか」。過去を繙き、未来を探る。今DNAを問う。
一つ、
弾ける「夢」を「空」に「吽える」

「夢吽空」―悠々と急ごう。
主宰 「言霊 夢吽空」 特許庁商標登録第4777167号
 

室町時代初期、幽玄を極めた能楽師「世阿弥元清」
昔から日本人が最も得意とする小手先の技術と物まねによる猿楽ぐらいしか楽しみが無かった時代。
それを深い精神性溢れる芸術の域まで昇華させ、新しい文化創造を醸し出した稀有の能楽師世阿弥。
世阿弥の集大成叡智のたまもの「風姿花伝」―演ずる技・術は持っていて当然。演技等というものは、教えて教えられるもの等ではない。「気」と「間」で己の魂が自ずと気付くべきものだ。演じてはならぬ。見せてはならぬ、まねてはならぬ。上手く思われようとしてはならぬ。気取られてはならぬ。
「秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず」
花とは、演ずる技を排除したのち初めて、感動を伝えられるものだと世阿弥は記す。
「ただ花は、見る人に心の珍しさが花なり」
世に新鮮な驚きを与える事。これが花の本質。
己を削り、表現を単純化=普遍化する。つまり己れを鍛え抜いて初めて、驚きの花が咲く。感動の根源だ。
「因果の花を知る事。極めなるべし。一切皆因果なり」削ぎ落とし、芸に励むのが「因」。名声が「果」。
因果=花、室町時代に既に世阿弥は気付いていた。しかし、これら古典芸能の伝承に於いては積極的に語られるが、現日本母国語「喋り言葉」の荒廃に触れられぬのは一体どういうことだろう。今の表現者は全てを忘れ去った。
敗戦後(何故か日本は終戦―終にこだわるが)日本人は技術と勤勉性で豊かになった。しかし、代償として、精神分化の深さは荒廃を余儀なくされた。それを踏まえて日本政府は平成13年、技術立国から芸術立国へ国策をシフトチェンジ。再びあの歴史ある深い国民性を目指して!――日本もまだ棄てたものではない。

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